2018年1月27日土曜日

X1時代

年末、帰省したときに、母に、まだゲームをしているのかと驚かれたが、三つ子の魂というやつで、ときに疎遠になりつつも、未だにゲームとの関わりは続いている。

我が家にゲームがやってきたのは、小学校2年生のとき。シャープのX1というパソコンだった。
当時の記録媒体は、カセットテープだったので、ゲームを始めるのに何分もかかった(ゲームによっては一時間近くかかるものも)。
それでも、ゲームセンターに行かなくても自分の部屋でできるのは楽しかった。
私の父親は、子供の自分と同じ目線で遊んでくれる人だったので、母親の目を盗んでは、私の部屋に来て一緒にゲームをしていた。

最初の頃に買ってもらったのは、「ゼビウス」(ナムコ)や「マッピー」(ナムコ)というゲームだった。
素朴ながら、今でもやりたくなるようなゲーム性でBGMは今でも覚えている。
ロールプレイングゲームもいくつか持っていた。
「ブラックオニキス」(BPS)は、ゲームを始めるときに、主人公の髪型を選べるのだが、どの髪型を選んでも大差ない気がしたのを覚えている。主人公の髪型を選べるロールプレイングゲームはあまりないのではないだろうか。
「ハイドライド」(T&Eソフト)は、始まってすぐに、迷宮に入ってはヴァンパイアに返り討ちにあっていた。
それ以外に記憶に残っているのは、日本ファルコムが作り、ロールプレイングゲームの名作として知られている「ザナドゥ」、異様に難しかった「ロマンシア」など。自分で地図を書いたり、攻略法を調べたりしたが、「ロマンシア」は、あえなく挫折した。
当時は、ゲームをやる人が相対的に少なかったということもあるのだろうが、当時のゲームの中には格段に難しいものがあった。
一方で、当時のゲームには、遊び心も盛り込まれていて、例えば、「ザナドゥ」では主人公をプログラマーの名前にすると最初からアイテムをたくさん持った状態で始められるという裏技があった。
さらに、「ザナドゥ」は敵を倒して得られる金や経験値がぎりぎりのところで作られていたり、ハイドライドシリーズでは、「3」で持ち物の重さの概念が導入されたりと、リアルな方向性への追求もあったような気がする。

自分の不注意とはいえ、悲しかったのは、媒体がカセットテープなので、うっかり上書きしてしまうことがあったことだ。
当然ながら、上書きすると、そのゲームはできなくなってしまう。上書きしたので新しいものを買ってくれと親には言えず悔しい思いをした。
あとは、パソコンがあるせいか、ファミコンは買ってもらえなかったので、ファミコンのゲームは友達の家でやるしかなかったことか。
次に我が家にやってきたのは、富士通のFM-TOWNS。平成元年、マルチメディアという言葉が使われていたころだ。

ゲームのことを書いていたら、ゲームブックのことを思い出したが、それは次の機会に。

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